東京都知事の小池百合子さんが話題ですね。
今回は、小池百合子さんの父親についてお届けします。
<この記事でわかること>
●小池百合子の父親のプロフィール
●小池百合子の父親の学歴
●小池百合子の父親の経歴
●小池百合子の実家
ぜひ、お読みください!
小池百合子の父親のプロフィール
小池百合子さんの父親は、小池勇二郎さんです。
プロフィール
<小池勇二郎>
生年月日:1922年8月6日
死去:2013年5月24日
出身地:兵庫県神戸市
勇二郎さんの両親は、宮城出身の喜兵衛さんと兵庫出身のかつさんです。
かつさんの兄は、海運業を起こした小川逸治で、喜兵衛さんも小池合名会社(海運会社)を家族で営んでいました。
小池百合子の父親の学歴
小池百合子さんの父・勇二郎さんの学歴は中央大学専門部卒です。
中央大学
<中央大学>
創立:1885年
校是:質実剛健
住所:東京都八王子市東中野742−1
学部は専門部商学科
専門部は、大学に付属していた短期課程の教育機関です。
大学は旧制高校や大学予科の卒業資格が必要ですが、専門部は旧制中学の卒業で入学可能でした。
小池勇二郎さんが学んだのは、専門部商学科で現在でいえば経済学部のようなものでしょうか。
小池勇二郎さんの実家は、息子を東京で学ばせるだけの財力があったとも言えますね。
小池百合子の父親の経歴
小池百合子さんの父・勇二郎さんの経歴です。
戦中は海軍中尉
小池勇二郎さんは、第二次世界大戦中は満州鉄道の経理部に所属していたそうです。
階級は、海軍中尉だったとか!
今の会社だと係長とか主任くらいらしい
ただこれは、小池勇二郎さん自身が語っていることで真偽は不明です。
「1944年に専門部を卒業して、終戦までに中尉になれるのか」「満州鉄道なら陸軍なのでは?」という疑念も持たれています。
また、小池勇二郎さんは戦中は「スメラ学塾」という右翼の政治結社にも参加していたと言われています。
闇市から貿易商へ
小池勇二郎さんは、戦後は闇市で商売し財を成しました。
その後は、石油関連の事業を起こし、複数の貿易会社を経営していました。
また、三昌物産という会社の専務にも就任しています。
百合子さんが産まれたのはこの頃です。
衆議院選挙に出馬
1968年、石原慎太郎さんが参議院議員選挙に全国区で出馬しました。
石原さんの政治団体は「日本の新しい世代の会」で、小池勇二郎さんはその関西地区の責任者でした。
石原さんは、301万票を獲得し当選しました。
1969年、小池勇二郎さんは衆議院議員総選挙の兵庫2区に無所属で出馬。
しかし、7000票しか獲得できず落選しています。
小池百合子さんは、後にこの落選をこう語っています。
小池百合子
アルジェリア情勢などを滔々と語る演説では勝てるはずもなかった
確かに~。
そういう意味では、百合子さんの方が民衆の心をつかむ政治家と言えそうですね。
会社は倒産
1971年頃、小池勇二郎さんの経営する会社は倒産しました。
これは、勇二郎さんが政治に夢中になり過ぎたためと言われています。
債権者が自宅に押し寄せたために、一家は東京に引っ越すことになりました。
当時は、小池さんは高校を卒業し大学に進学した頃でした。
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カイロで日本食レストランを経営
その後、小池勇二郎さんは石原慎太郎さんの後援者であった朝堂院大覚さんの援助で、エジプトのカイロで日本食レストランを開業しました。
レストランの名前は「なにわ」です。
しかし「なにわ」も小池百合子さんがカイロ大学に留学中に倒産しています。
その後も、勇二郎さんは20年以上アラブに留まったということです。
小池勇二郎さんは、日本に帰国し90歳で亡くなっています。
小池百合子の実家は芦屋
この動画では、実際に小池百合子さんの実家跡に赴いています。
小池百合子さんの実家は、兵庫県芦屋市の宮川けやき通りにありました。
線路脇の生家跡はコインパーキングになっていた。
神戸新聞NEXT
小池さんの実家は、阪神神戸線の線路わきにあり、現在はコインパーキングになっています。
この「いかりスーパー」の近くに小池家はあったようです。
父親の会社が倒産しなければ、今も家が建っていたかもしれませんね。
小池百合子の父親と実家のまとめ
<小池勇二郎>
生年月日:1922年8月6日
出身地:兵庫県神戸市
学歴:中央大学専門部商学科卒
経歴:石油貿易商、政治家活動家、飲食店経営
小池百合子さんの父・小池勇二郎さんは、日本に帰国し90歳で亡くなっています。
勇二郎さんの人生、とても波乱万丈でしたね。
小池さんの実家は芦屋市にありましたが、現在はコインパーキングになっています。
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