西村康稔さんと安倍晋三さんは親戚ではありません。
しかし、お二人の縁は三世代に続く深いものでした。
今回は、西村康稔さんと安倍晋三さんの関係についてお届けします。
<この記事でわかること>
●西村康稔と安倍晋三との関係
●西村康稔の義父と安倍晋三の祖父・父の関係
●岸信介、安倍晋太郎、吹田愰、安倍晋三、西村康稔の相関図
ぜひお読みください!
【相関図】西村康稔と安倍晋三は親戚ではない!
西村康稔さんと安倍晋三さんは親戚ではなく、血縁関係はありません。
しかし、西村康稔さんの妻の父親・吹田愰さんは安倍晋三さんの祖父・岸信介さんの政界復帰を後押ししました。
また、吹田愰さんは安倍晋三さんの父親・安倍晋太郎さんの側近だったそうです。
西村康稔さんの妻の名付け親は、安倍晋三さんの祖父である岸信介さんです。
お二人には血縁関係はありませんが、義父から親子二代にわたり岸家・安倍家と深い関係があったことがわかりますね。
西村康稔の義父・吹田愰
西村康稔さんの妻の父親は、山口県出身の政治家・吹田愰さんです。
<吹田愰のプロフィール>
生年月日:1927年2月1日
出身地:山口県田布施町
吹田愰さんの経歴はこちらです。
<吹田愰の経歴>
田布施町
町長(3期)
山口県
県議会議員(議長も務める)
衆議院議員
1979年に初当選
同期:麻生太郎、岸田文武(岸田文雄の父)
第2次海部改造内閣で自治大臣・国家公安委員長を務める
1994年に自民党離党
1996年山口県知事選に出馬するも落選
2000年衆議院議員選挙に出馬するも落選し引退
吹田愰さんは2017年に亡くなりました。
西村康稔の義父・吹田愰と安倍晋三の祖父・岸信介
安倍晋三さんの祖父・岸信介さんは第2次世界大戦中に東条内閣で閣僚であったために戦後はA級戦犯として拘置されました。
その岸伸介さんが山口県に戻った時に交流を深め、岸さんの政界復帰を後押ししたのが吹田愰さんです。
岸信介さんにとって吹田愰さんは国家老や参謀のような人物だったそうです。
西村氏の義父である故・吹田あきら氏は山口県政の大物で、安倍氏の祖父・岸信介氏にとって国家老、最も信頼の置ける参謀のような人物でした。
デイリー新潮 安倍派の醜悪な跡目争い 安倍家の代理人を気取る西村康稔氏、森喜朗元総理も登場
その縁で、岸伸介さんは吹田愰さんの娘の名付け親となり、娘さんは「信子」と名付けられました。
西村康稔の義父・吹田愰と安倍晋三の父・安倍晋太郎
安倍晋太郎さんは岸伸介さんの娘婿で、安倍晋三さんの父親です。
西村康稔さんの義父・吹田愰さんは安倍晋太郎さんを総理大臣にするべく奮闘していました。
しかし晋太郎さんは1991年にすい臓がんのため亡くなりました。
西村康稔の義父・吹田愰と安倍晋三
西村康稔さんの義父・吹田愰さんは、野党に転落した時の安倍晋三さんに「自民党総裁を目指せ」と迫った人物だということです。
2012年、すでに吹田愰さんは引退していましたが安倍晋三さんに面会し、再度自民党総裁を目指すように言いましたが、安倍さんは渋ったそうです。
そんな安倍さんに吹田愰さんんはこう言いました。
吹田愰
このままだと「敵前逃亡の総理大臣」だと言われる
安倍家として、岸信介の系統を継ぐものとして、なんとしても名誉回復しなくてはならないのではないか
「あんたね、このままだと『敵前逃亡の総理大臣だ』と言われよるよ。現にマスコミはそう言っとる。安倍家として、岸信介の系統を継ぐ者として、ここはなんとしても名誉回復せないかんのではないかね」
青木理「安倍三代」より
この言葉だけで決めたわけではないでしょうが、安倍晋三さんはその後の自民党総裁選に出馬し総裁となり、その年の12月の衆議院選挙で民主党に大勝し総理大臣に返り咲いています。
西村康稔は安倍晋三を看取った!その関係は?
西村康稔さんは安倍晋三さん率いる清和政策研究会(安倍派)の一員で、安倍晋三さんからは「将来の首相候補」として名前が挙げられていました。
西村康稔さんは安倍晋三さんの最後を看取った人物でもあります。
西村康稔は清和政策研究会
西村康稔さんは、2003年衆議院選挙に初当選し、清和政策研究会に入会しています。
清和政策研究会は、1954年結党の日本民主党の流れを汲む自民党の派閥で、安倍派や清和会とも呼ばれます。
<清和政策研究会>
自民党内の名門派閥
設立者:福田赳夫
設立年:1979年
西村康稔は安倍晋三の後継者?
安倍晋三さんは、将来の首相候補として4名の名前をあげていました。
<安倍晋三があげていた首相候補>
西村康稔
松野博一
萩生田光一
下村博文
派内では従来、安倍氏の後継選びは中長期的な課題ととらえられていた。安倍氏は以前、下村、西村、松野、萩生田の4氏を将来の首相候補に挙げたが、自らの後継者を指名したことはない。4氏に競争させ、時間をかけて育成する意向だったとみられる。
読売新聞 分裂回避を優先、安倍派は集団指導体制か…「将来の首相候補」と安倍氏が挙げていた4氏
安倍さんは、この4名を時間をかけて育成していく考えだったようです。
安倍晋三を看取った西村康稔
2022年7月8日、安倍晋三さんが奈良県で銃撃されたという一報を西村康稔さんは伊丹空港で知りました。
そして全ての予定をキャンセルし、搬送先の奈良県立医大付属病院に向かいました。
しかし、安倍さんは死去され、西村康稔さんは安倍昭恵さんと共にその最期を看取っています。
西村康稔さんのブログにはこう書かれれています。
西村康稔
遺体と共に奈良から京都まで戻り、妻・信子と共に安倍家のお手伝いをさせていただいた
義父・吹田愰は岸信介元総理の地元の町長を務め、後継者として衆議院議員をつとめた
私自身は官房副長官・経済再生大臣として安倍総理を支えた
親子2代にわたり岸家・安倍家とご縁があった
7月8日、銃撃の一報を受け、私はすぐに搬送先の奈良県立医大附属病院に向かい、大量の輸血など医療関係者の皆様の懸命の努力を見守っていましたが、願いかなわず、昭恵夫人とともに最期を看取らせて頂くこととなりました。
ニッシーブログ
このように親子3代で縁があり、自分も大臣として支えてきた方が銃撃によって倒れたことは、とても苦しく悲しい事だったと思います。
西村康稔と安倍晋三は親戚ではないが深い関係!
西村康稔さんと安倍晋三さんに血縁関係はありません。
しかし、西村康稔さんの義父の吹田愰さんは衆議院議員で、安倍晋三さんの祖父の岸信介さんと父の安倍晋太郎さんを支えた人物です。
その縁で、西村康稔さんの妻の名付け親は岸信介さんです。
安倍晋三さんは、西村康稔さんを将来の首相候補の1人と考えていました。
西村康稔さんは安倍晋三さんの最期を安倍昭恵さんと共に看取りました。
西村康稔さんと安倍晋三さんはこのような深い関係にあったんですね。