兵庫県知事の斎藤元彦(もとひこ)さんが話題ですね。
今回は、斎藤元彦さんの祖父についてお届けします。
斎藤元彦さんは神戸市でケミカルシューズの製造業を営んでいました。
また、祖父は政治家としての斎藤元彦さんに大きな影響を与えています。
<この記事でわかること>
●斎藤元彦の祖父
●ケミカルシューズとは?
●斎藤元彦と祖父のエピソード4選
●斎藤元彦の祖父の画像
ぜひ、お読みください!
斎藤元彦の祖父のプロフィール
斎藤元彦さんの祖父のプロフィールです。
- 氏名:大澤伸剛(おおさわのぶたか)
- 生年月日:1925年1月7日
- 死去:2018年9月18歳
- 出身地:兵庫県神戸市垂水区
- 学歴:大阪市立都島工業高校卒
斎藤元彦の祖父はケミカルシューズ製造業
斎藤元彦さんの祖父は、神戸市長田区と須磨区でケミカルシューズ製造業を営んでいました。
ケミカルシューズ製造業
神戸市長田区と須磨区でケミカルシューズ製造業を営んでいました。
祖父は、日本ケミカルシューズ工業組合の理事長も務めていたんだとか!
地元の大物だね!
現在は祖父は亡くなっており、親族はゴルフ場の経営などをしているそうです。
斎藤元彦さんの父親もケミカルシューズ製造業を営んでいた時期があります。
詳しくはこちらをお読みください▼
ケミカルシューズとは
ケミカルシューズは、兵庫県神戸市が発祥の靴です。
ケミカルシューズが誕生したのは戦後の物資不足が続く1952年頃でした。
神戸市の長田区で、ビニールシートを使った靴が考案されました。
この靴は、ビニールすなわち化学素材を使っているので、ケミカルシューズと呼ばれるようになりました。
石油危機、バブル経済の崩壊、阪神・淡路大震災など、ケミカルシューズの製造には多くの危機がありました。
現在は、ケミカルシューズという概念もなくなりつつあるそうです。
斎藤元彦と祖父とのエピソード4選!
斎藤元彦さんと祖父のエピソードを紹介します。
- 名前は祖父がつけてくれた
- 祖父が経営の厳しさを教えてくれた
- 商店街で買い物
- 座右の銘は祖父からの言葉
【画像】①:名前は祖父がつけてくれた
斎藤元彦さんの「元彦」という名前は祖父に命名されたそうです。
それは、兵庫県知事も務めた金井元彦さんに由来するということです。
斎藤氏は同氏の名前について、1962〜70年に兵庫県知事を務めた金井元彦に由来して祖父が名付けたことなどを紹介。
https://news.kobekeizai.jp/blog-entry-7981.html
<金井元彦>
生年月日:1903年11月28日
死去:1991年8月6日
出身:兵庫県神戸市
学歴:東京帝国大学卒
経歴:兵庫県知事、青森県知事、参議院議員
金井元彦さんは内務省に入省し、その後、県知事や参議院議員を務めました。
斎藤元彦さんも東京大学卒業後、総務省に入省しています。
このことから、斎藤さんは入省時から「兵庫に戻って兵庫に尽くしたい」という思いがあったのだそうです。
②:経営の厳しさから政治家を志した
斎藤元彦さんは、祖父の会社経営をそばで見ていました。
そして、会社経営の厳しさや大変さについてよく聞いていたそうです。
祖父らの話を聞いて斎藤さんは、「地場産業を大切にしたい」と思い、政治家を志したということです。
③:商店街で買い物
斎藤元彦さんは、「神戸市須磨区の板宿」が自身のルーツの一つだと語っています。
<板宿商店街>
住所:兵庫県神戸市須磨区平田町2丁目3
板宿には、祖父のケミカルシューズの工場がありました。
板宿商店街で、斎藤さんはご飯を食べたり、買い物をしたりしていたんだそうです。
きっとお祖父さんとも買い物をしたんでしょうね。
斎藤さんはX(旧Twitter)でこう言っています。
斎藤元彦
須磨区は、消滅可能性都市と揶揄されることもまだある
そんなイメージ、吹っ飛ばします!
斎藤さん、お祖父さんと過ごした街を守りたいのかもしれませんね。
④:座右の銘は祖父からの言葉
斎藤元彦さんの座右の銘は「雲中雲を見ず」です。
<雲中雲を見ず>
読み方:うんちゅうくもをみず
意味:目先の些細なことにとらわれ、物事の本質に気づかないこと
この言葉は、斎藤さんが祖父から伝えれられた言葉だそうです。
斎藤さんはこれを胸に仕事をなさっているようでこう語っています。
斎藤元彦
大きな権力を持つ知事はともすれば県民の皆さんと乖離することもありうる
自分をしっかり省みてやっていく
「雲中雲を見ず」…政治家として、とても大切にしていただきたい言葉ですね。
斎藤元彦の祖父のまとめ!
斎藤元彦さんの祖父は、神戸市長田区と須磨区でケミカルシューズの製造業を営んでいました。
この会社は現在はないようです。
斎藤元彦さんと祖父のエピソードはこちらです。
- 名前は祖父がつけてくれた
「元彦」という名前は兵庫県知事も務めた金井元彦の名前から祖父がつけた - 経営の厳しさから政治家を志した
祖父の話から経営の厳しさを知り、地場産業を守りたいという思いに繋がった
それが政治家を志したきっかけ - 商店街で買い物
祖父の工場のあった須磨区の板宿商店街は自身のルーツ - 座右の銘は祖父からの言葉
「雲中雲を見ず」という言葉を座右の銘にしている
これは祖父から教えられた言葉
兵庫県の職員であった渡瀬康英さんの経歴はこちらです▼
斎藤元彦さんの元で副知事を務めた片山安孝さんについてはこちらをお読みください▼